齋藤家はもともと大網で御殿医を営んでましたが、江戸末期に結核で家督が途絶え、明治時代に江澤家から千葉大の医学部の学生だった乙吉を養子に迎え、その後土屋家からはなを嫁に迎え、明治26年頃に成東町で日東院という産科の病院を開院しました。
ただ仕事が忙しくその子供の圭三は生まれてすぐに実家と本行寺というお寺に預けられ、親子で疎遠になり、刑事は医師の道を選択せずに、歯科医師となり、日本歯科医専を卒業、日本橋久松町に開業しました。
松尾町八田古谷家のたかと結婚し、子供をもうけますが、大正12年の関東大震災の際に焼失し、千葉県船橋市小栗原町に移転開業しました。
その後、長男の貞雄が後を引き継ぎ、新しい診療所を開設しました。
コメント